ホームへ> 野菜野菜 >かぶの絵文字かぶ >かぶの絵文字千枚漬け ライン

千枚漬け 聖護院大根と聖護院かぶ

更新:2022年7月22日(金) イラスト追加 / 初版:2020.01.01 22:25

かぶ、赤かぶ、紫かぶ、煮物や漬物にすると美味しい
雪玉のように丸くて真っ白で冬が似合う野菜、かぶ
赤かぶの絵文字赤かぶや、紫色のかぶもあり、 並べると紅白でおめでたいのも、 お正月にぴったりだ。

そんな彼らは冬が旬。 煮物にしたり漬物にすると あまくて美味しい和食に合う野菜だ。 とはいえあまり栄養はなさそう? そういう印象も正直あった。 しかし意外と役に立つ野菜だったのだ。

かぶの目次一覧

裸足千枚漬け
ダイエット聖護院かぶ
疲れる歴史
万木かぶの絵文字アブラナ科アブラナ属の植物

千枚漬け

千枚漬け
聖護院大根を使って作られる、冬の京漬物の名物が千枚漬けだ。
聖護院かぶを透けるほどうすーく輪切りにして 1週間ほど漬けてすぐ出荷する。

出荷後の賞味期限も1週間前後という、 採れたてかぶ使用の旬のお漬物なのだ。 11月になるとお店に並び始め、 1月中まで楽しむことができる。 かぶの甘味と、やわらかい中に残る シャクっとした食感がとても美味しい。 うすーく作られているのも食べやすく、 日本酒のお供にもぴったりなのだ。

かぶ本来の甘味に、昆布や砂糖も加えられ、 酸っぱすぎず、甘ったるくもなく、 「はんなり」という言葉が本当にしっくりくる。 それに真っ白な薄いかぶの円盤が、 幾重にも重なって入っているのが 見た目にも美しく、厳かな気持ちにさせてくれる。 この千枚漬けが生み出されたのは1865年。 大黒屋藤三郎さんという人が考案し、 大藤(だいとう)という お店を作って売り始めたそうだ。

伊勢屋利八さんが聖護院かぶを作ってから約60年。 名もなき篤農家がパイオニアとなり、 近江の国からかぶの種子を持ち帰ってからだと、 1世紀分以上もの時を経て…… 聖護院かぶはすっかり京都に根付き、 21世紀にも残る京都の名物になったのだ。 今では大藤以外にもものすごくたくさんのお店が、 千枚漬けを作って売り出しており、 京都以外のデパートやすーぱマーケットにも 冬にはたくさんの千枚漬けが並ぶ。 なお大藤というお店は今も残っており、 他のお漬物も扱いつつ、 もちろん冬には千枚漬を販売している。

オンラインでも購入可能なので、 江戸時代のかぶリレーに思いを馳せつつ、 ぜひ食べてみてほしい逸品だ。 初代大黒屋藤三郎さんの千枚漬けが誕生したとき、 ひょっとしたら長生きした伊勢屋利八さん、 そして田中屋喜兵衛さんが口にしたかもしれない。 食べていたらいいな。とそう思う。

↑目次へ戻る

聖護院かぶ

聖護院かぶは京野菜だ。
聖護院かぶの発祥については2つの説、 または2つの説が混じった説が伝わっており、 どちらにせよ江戸時代のことだ。

◆第1の説

1716年~1736年の間に、 名もなき京都在住の篤農家(とくのうか)が、 近江の堅田地方から近江かぶの種子を持ち帰った。 なお篤農家というのは、 農業に熱心な人。という意味だ。

◆第2の説

1801年~1804年の間に、 京都在住の伊勢屋利八という人が 同じく近江からかぶの種子を持ち帰って植えた。 …という説だ。 聖護院かぶ
これが混じって1700年代前半に、伊勢屋利八さんがかぶを持ち帰った…という説もある。
果たしてなにが正しいのか。

ここで登場させたいのが田中屋喜兵衛さん。

彼も篤農家で、1818~30年の間に、 尾張の国から来た大根をもらって品種改良し、 聖護院大根をつくったという人だ。

そしてどうやら聖護院かぶの伊勢屋利八さんは、 聖護院大根の田中屋喜兵衛さんと 知り合いだったそうだ。

つまり伊勢屋利八さんも 1800年代の人ということになる。

先に伊勢屋さんが聖護院かぶを作り、 その技術を同じく京都在住の 農業に熱心な田中屋さんに 情報共有することで 聖護院大根ができたのではないだろうか。

さらにその前に登場するのが、 1700年代の名もなき篤農家だ。

おそらく彼が、近江からかぶの種子を持ち帰った。 そしてそれは京都で何代もかけて品種改良され、 1800年代の伊勢屋さんの時代に、 ついに聖護院かぶとして 完成したのではないだろうか。

時系列準に並べてみるとこういうことだ。
西暦説明
1716年~1736年 名もなき篤農家が近江から近江かぶの種子を持ち帰る。
1801年~1804年 伊勢屋利八さんがそのかぶの子孫から聖護院蕪を誕生させる。
1818年~1830年 伊勢屋利八さんから情報共有された田中屋喜兵衛さんが 大根を品種改良した聖護院大根を生み出す。

当時の詳しい文献が残っていないため、 あくまでも個人的に組み立てた予測だが、 そんなふうに江戸時代に品種改良リレーがあったら…。 そう想像するとちょっとほっこりする。



↑目次へ戻る

かぶの歴史

カブの起源には大きな説が2つある。
地中海沿岸から始まったという説と、 中央アジアのアフガニスタンから 始まったという説だ。

どちらにせよ4000年以上前から栽培されていて、 やせた土地でもよく育つので 重宝されていたという。 土地を選ばす育って胃に優しい野菜なので、 別の国から伝えてもらうまでもなく、 世界各地で作られていたのだろう。 かぶの歴史
中国でも諸葛亮孔明のお気に入りだったという話がある。
孔明が野生のかぶを戦地で 栽培したことがきっかけで、 中国全土でかぶ栽培の文化が芽生えたために、 かぶを「諸葛亮」にちなんで 「諸葛菜(しょかつさい)」と名付けたという。

日本でも縄文時代からかぶを 栽培していた痕跡がある。 弥生時代に中国からも伝えられたそうだが、 それより前から自生のかぶは存在していたのだ。 720年に出された日本書紀には、 693年に栽培されたと記載があるが、 北海道や東北地方の方では、 もっと前から栽培されていた。 なお、その日本書紀の中で、持統天皇が かぶの栽培を奨励している。 それに万葉集にも かぶの歌がいくつも入っているそうだ。

↑目次へ戻る

アブラナ科アブラナ属の植物

アブラナ科アブラナ属の植物、かぶ、小松菜、白菜、青梗菜、野沢菜、ブロッコリー、ケール、ラディッシュ
アブラナ科アブラナ属の植物だ。
小松菜白菜チンゲン菜、水菜、 野沢菜や京菜、そしてケールなど、 葉物野菜はほとんどがアブラナ属。

そしてブロッコリーカリフラワーもアブラナ属だ。 なお、よく赤カブと言われる真っ赤で小さなラディッシュ。 あれは正確にはかぶではなく、二十日大根。 つまり大根だ。 なので二十日大根はアブラナ科ではあるものの、 ダイコン属という、 かぶとは違う所属になっている。 もちろん一般的な大根もダイコン属である。

↑目次へ戻る

万木かぶ、温海かぶ、かぶの花、すずな
なお日本には万木かぶ(ゆるぎかぶ)、 それに温海かぶ(あつみかぶ)など、 赤紫色をしたかぶも存在していて、 そちらは正真正銘アブラナ属の赤かぶである。
さて、かぶはアブラナ属なので、 花は菜の花そっくりだ。 というか、菜の花と区別が つかないほどよく似ている。

4枚の黄色い花びらでできた小さな花が、 丸く密集して咲くのだ。 花言葉は「晴れ晴れと」。 そして葉っぱの部分には「慈愛」という言葉もある。 なぜ葉っぱに…?と疑問に思うが、 かぶの葉っぱは「すずな」と呼ばれる、 春の七草の1つなのだ。 このすずなの花?言葉が 「慈愛」というわけである。 かぶはお正月にはかかせない野菜で、 菊の花の形に飾り切りして、 赤唐辛子を添えるのが一般的だ。 紅白のコントラストがとても晴れやかで、 そんなところからきた 花言葉ではないかと思わせる。

↑目次へ戻る

すずなは胃腸の薬にもなる。かぶ生産量1位は千葉県、2位は埼玉県、3位は青森県
慈愛、というのは効能からきている。
すずな、つまりかぶの葉っぱは 胃腸の薬になるのだ。

胃をやさしく癒してくれる慈愛の葉、 それがすずなだ。 お正月の食べ物ということで旬は冬なのだが、 それほど土地や気候を選ばず育つ野菜なので 全国各地のどこかで1年中採れる。 生産量トップは千葉県で、 全国のかぶの約30%は千葉県で生産されている。 次いで埼玉県、そして青森県という順位だ。

↑目次へ戻る

かぶ turnip